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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1788号 判決

控訴人 中村繁

被控訴人 朝岡政志

主文

原判決を次のように変更する。

被控訴人が東京都江東区木場三丁目一番地の二宅地四十五坪二合六勺について借地権を有しないことを確認する。

被控訴人は控訴人に対し昭和十二年一月一日から昭和二十年三月十日まで一ケ月坪当り金八十銭の割合による右四十五坪二合六勺分の金員を支払うべし。

控訴人その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取り消す、被控訴人が主文第二項の土地について借地権を有しないことを確認する、被控訴人は控訴人に対し昭和七年一月一日から昭和二十年三月十日まで一カ月坪当り金八十銭の割合による右四十五坪二合六勺分の金員を支払うべし、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用認否は、後記のとおり附加するほか原判決事実らんに記載されたとおりであるからここにこれを引用する。

控訴代理人は、本件賃貸借が明治四十五年一月一日から数えて二十年を経過した昭和六年十二月三十一日をもつて期間満了により終了したことは従来主張のとおりである、控訴人の先代中村元吉が被控訴人の先々代朝岡八松にはじめて本件土地を賃貸したのは明治三十九年七月二日であり、その時の賃貸借期間は五年であつて、明治四十四年七月一日に満了したわけであるが、当時この地上に右八松の所有した建物は腐朽し滅失に近ずいていたので、八松はここに建物を新築する意図を有し、賃貸借契約改定につき種々交渉があつた後、明治四十五年一月一日期間を同日から五年と定めてあらためて賃貸借契約をしその旨の契約書(甲第一号証)をとりかわしたのである、借地法施行前の土地賃貸借は大体五年の期間を定め、期間満了とともにこれを更新してさらにあらためて五年間賃貸することとし、この更新がなければ賃貸人は期間満了とともに土地の明渡を求め得たものである、右甲第一号証の契約書は決して従前の賃貸借を確認するためのものでないことは、その前の賃貸借についても契約書の差し入れがあつたことから明らかである、また乙第四号証にはさきに別件の訴訟ではその当事者たる控訴人も相手方も本件賃貸借は明治四十一年六月中に成立したもののように主張したことが明らかであるが、当時は本件の甲第一号証も甲第五号証の二もその存在に気付かず、証拠として提出されなかつたため、判決においても同様に認定されたに過ぎない、そして明治四十五年一月一日になされた契約の満了した大正六年一月一日以後は当事者間に特にあたらしい賃貸借契約はなされなかつたが、これをもつて民法第六百十九条の賃貸借の更新を推定すべきものではない、なぜならば従前更新の都度契約書を差し入れて来たのに、この時はそれがなかつたからである、従つてこの時以後は前契約のままになつて大正十年借地法施行の日を迎えたのである、借地法第十七条第一項にいう借地権の存続期間の起算点は借地権設定の時又は借地契約更新あるときはその最後の更新の時であるから、本件の借地権の存続期間は明治四十五年一月一日から二十年となるのであると述べ、

被控訴代理人は本件賃貸借成立のはじめが明治三十九年七月二日であることは否認する、その他控訴人主張事実中被控訴人従来の主張に反する部分は否認すると述べた。

〈立証省略〉

理由

控訴人の先代中村元吉が主文第二項の土地を所有し、被控訴人の先々代朝岡八松がこれを元吉から普通建物所有の目的で賃借しその地上に建物を所有していたこと、控訴人の先代元吉は大正四年五月一日死亡し控訴人が家督相続によりその権利義務一切を承継したこと、被控訴人の先々代八松は大正六年一月八日死亡し被控訴人先代朝岡忠松が家督相続により八松の権利義務一切を承継し、次いで右忠松は昭和二十年三月十日死亡し被控訴人が家督相続によりその権利義務一切を承継したことは当事者間に争ない。

よつて右賃貸借成立の日時について按ずるに、

当審における控訴人本人尋問の結果により真正に成立したものと認めるべき甲第五号証の二の記載に本件口頭弁論の全趣旨をあわせれば、控訴人の先代元吉は明治三十九年七月ごろ被控訴人先々代八松に対し右土地を賃貸したこと及びそれについては契約書の作成があつたことを認めるに足りる。この点につき被控訴人は賃貸借の成立時期を明治四十一年六月中と主張し、成立に争ない乙第四号証によれば、かつて控訴人と訴外朝岡静子(被控訴人の妻)外三名間の訴訟において控訴人も自らそのような主張をし、判決においても同様に認定されたことは明らかであるが、当時は前記甲第五号証の二及び甲第一号証が発見されず提出にいたらなかつたものとみるべきこと右乙第四号証よりこれをうかがい得べきところであるから、これをもつて右認定を左右するものとなし得ない。

しかし右賃貸借につきその期間の定めがどのようであつたかはこれを認めるべき明確な証拠がないところ、成立に争ない甲第一号証及び右甲第五号証の二に当審における控訴人本人尋問の結果をあわせれば明治四十五年一月一日右元吉と八松との間に右土地を目的とし期間を同日より満五カ年と定め賃貸借契約をする旨同日付契約書(甲第一号証)が作成され、八松より元吉に差し入れられたことを認めるに十分であり、その後右契約書に定める五年の期間の後は当事者間になんらの契約書の作成等の事実がなく、そのまま大正十年五月十五日借地法施行の日を迎えたことは本件口頭弁論の全趣旨により明らかである。その間被控訴人先々代八松は明治三十九年七月賃借以来地上に建物を所有し、大正元年九月にはあらためて地上に木造建物一棟を新築し(従来の建物はこの時以後は存在しなくなつたものと推認せられる)、引続き土地を使用し、右大正十年当時は被控訴人先代忠松において建物所有のため土地を使用していたものであることは当審における証人玉川義則の証言により成立を認めるべき甲第五号証の一、前記乙第四号証の各記載、原審及び当審における控訴人、原審における被控訴人各本人尋問の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨をあわせてこれを認め得べきものである。

そこで本件につき借地法第十七条の適用があるかどうか、あるとすればどのように適用があるか、その賃借権の存続期間の起算点はいつかの問題について検討する。同条第一項本文は同法施行前設定した賃借権で普通建物所有を目的とするものについてはその存続期間はすでに経過した期間を算入して二十年とする旨を定めており、これを同項但書及び第二項とくらべてみれば、右第一項本文の適用をみるのは同法施行前の契約で、二十年にみたない期間の定めあるもの及び同法施行前の契約で期間の定めがなくかつまた二十年を経過していないものに限られ、いずれの場合においても同法施行当時現に存続するものを対象とするものであることは明らかである。本件において最初に賃貸借の成立したのは明治三十九年七月であり、明治四十五年一月一日にはさらに期間を五年とする賃貸借契約書が作成されたことは前記のとおりである。借地法施行前においては土地の賃貸借の期間も当事者の任意に定めるところにまかされていたため、建物所有のための賃貸借でありながら契約において三年ないし五年の期間を定め、その期間満了の後また同様の期間を定めて賃貸借契約を更新し、その後もまたこれをくりかえすというようなことの見られたことは公知の事実である。そしてかように短期間を定める賃貸借でもそれが現に更新されて実質上相当長期にわたる限り、契約に定める期間は文字どおり賃貸借の期間と解して差しつかえはなく、それがまた契約に期間を定める当事者の意思に合致するものというべきである。ただ、このような契約の更新がされない場合、たんに当初契約に定めた期間が満了したとの一事によつて直ちに賃貸借が終了したとし賃貸人において土地の明渡を求め得べきかという点については、このような短い期間は建物所有のためという相当長期間存続するのでなければ意味がない賃貸借の目的にてらし、賃貸借そのものの期間とするのは合理的でないとし、これを地代すえおき期間であつて賃貸借の期間でないと解すべきだとの見解が広く裁判例に示されたことがあるが、かような考え方は右のように約旨に定めた短期間の満了によつて賃貸借が終了することを否定しようとする場合にはじめて妥当するものというべきで、それ以上一般にすべてそうだとするのは相当でない。借地法第十七条はともかく同法施行当時に存続する借地権にも長期の存続期間を与えようとするものであつて、もし短期の期間をもつて契約が更新されて来たものであれば、同条第一項本文によりその最後の更新の時から二十年又は三十年とすれば十分であり、あえてその契約に定めた期間を無視し、当初賃貸借成立の日から期間の定めのないものと解し、同条第二項により二十年毎に更新あつたものとするには及ばないものである(もつともかかる短期の賃貸借がすでに借地法施行前に満了により終了したとして右借地法第十七条の適用が拒否されようという場合であれば、前記のような解釈の働く余地は十分にある)。このように解すれば本件において当初の明治三十九年七月の契約は明治四十五年一月一日の同日付契約書による契約によつて更新され、この契約においては賃貸借の期間を同日から五年と定めたものと認めるのが相当である。被控訴人は右甲第一号証の契約書はたんに従前の賃貸借を確認したにすぎないと主張するが、すでに従前の賃貸借についても契約書の作成があつたこと、甲第一号証の作成日付は従前賃貸借成立の日である明治四十五年一月一日付で、しかも期間は同日より五年と明記されていることからすれば、右主張の採用しがたいことは明らかである。そしてその五年の期間は大正五年十二月末日をもつて満了したが、被控訴人先々代及びそのころこれを相続した被控訴人先代において土地の使用を継続していたのに控訴人はこれを知りながらなんら異議を述べなかつたことは弁論の全趣旨から明らかであるから民法第六百十九条により当事者間には前賃貸借と同一条件(但し期間の定めはないものとなる)でさらに賃貸借が成立したもの、すなわち契約の更新があつたものと推定すべく、右推定をくつがえすべきとくだんの事情は認められない(もつとも前記控訴人本人尋問によればその際多少の地代を値上したことを認め得るから、この点の条件は変更されたものというべきである)。そうだとすれば借地法施行当時本件土地については大正六年一月一日当事者間に成立した期間の定めのない賃貸借契約が存続中であつたことが明らかであり、同法第十七条第一項本文の適用により、その存続期間は右大正六年一月一日から数えて二十年であり、昭和十一年十二月三十一日をもつて満了すべきものであることは明らかである。控訴人は右期間の起算点を明治四十五年一月一日と主張するが、そのしからざること右説明からおのずから明らかである。また控訴人は大正六年一月一日の契約の更新を否定するが、その前の賃貸借に定めた期間は賃貸借の期間であること前記のとおりであり控訴人も自ら主張するところであるから、もしこの期間満了後契約の更新がなかつたとすれば、借地法施行当時はすでに本件賃借権は消滅していたこととなり、この点でも控訴人の主張自体とむじゆんするわけであり、その失当なることは明らかである。

しからば右昭和十一年十二月三十一日をもつて満了すべき本件賃貸借はさらに借地法によつて更新されたであろうか。控訴人は右賃貸借満了の日の計算をあやまり、すでにこれより以前昭和六年中から期間は満了したと考え、被控訴人先代の土地使用に対し異議を主張し、建物収去土地明渡を求め、そのころから賃料の受領をも拒絶するにいたり、昭和十三年八月及び十二月にも書面をもつて賃貸借期間満了を理由に被控訴人先代の土地使用に対し異議を申し入れ、昭和十六年本訴提起に及んでいることは、成立に争ない甲第二号証の一、二、乙第一、第二号証、同第六、第七号証の各一、二、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨によりこれを認め得るところである。かような場合本件賃貸借が真実終了すべき日時について当事者とくに賃貸人に誤解があり、従つてその終了後とくにあらたまつて遅滞なく異議を述べたという事実がないからといつて借地法第六条のいわゆる法定更新があるものとするのは相当でなく、むしろその終了の前から異議を主張し終了の後までその態度を持ち続けていた右のような事実によつてみれば、控訴人は右賃貸借終了後の被控訴人先代の土地使用に対してそのころ異議を述べていたものと解するのが相当である。従つて本件については借地法第六条(昭和十六年法律第五五号による改正前のもの)の契約更新はなかつたものといわなければならない。

しからば本件賃貸借は右昭和十一年十二月三十一日の経過とともに期間満了により消滅したものであることは明らかである。しかるに被控訴人はなお右賃借権が存続する旨主張していることは明らかであるから、本件において被控訴人が右賃借権を有しないことの確認を求める控訴人の本訴請求は理由がある。

次に被控訴人先代が右賃貸借終了後も本件土地を明渡さず昭和二十年三月十日までこれを占有使用したことは本件口頭弁論の全趣旨から当事者間に争ないものと認むべく、その最後の賃料が一カ月坪金八十銭であつたことは被控訴人の認めるところであるから、被控訴人先代は右期間右賃料と同額の損害を控訴人にこうむらしめたものというべく、被控訴人において控訴人に対し損害賠償として右金員を支払うべき義務あることは明らかである。

控訴人は昭和七年一月一日以降の分についてもこれを求めるが、右はまた賃貸借存続中であり、賃料としてならばかくべつ、損害賠償としてはこれを請求し得ないこともちろんである。

よつて控訴人の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余を理由のないものとして棄却すべく、これと異なる原判決は右の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条第九十二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤江忠二郎 原宸 浅沼武)

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